競馬と漫画と将棋が三大栄養素

どうも、競馬と漫画と将棋が三大栄養素なdaiouoka(大王岡)です。基本は競馬と漫画と将棋について書いてます。が、雑記ブログでもあるのでこれ以外のことについても書きます。アニメや時事ネタなど。定職につくために、このブログで就活費や生活費などを稼げるように頑張って書いてます。

外国人女装者「日本は女装者のパラダイス!」なぜ日本は女装に寛容なのか?

どうも、(@daiouoka)です。女装はしたことありません。そして木曜日恒例「今週指した将棋」はおやすみです。
さて、今回は「まなめはうす」の運営まなめ氏の企画に乗っかって読書感想文を書きます。

何の本で書こうかなと、トップ| 札幌市電子図書館をさまよっていると面白そうな本を発見!

日本は女装者のパラダイス!?

1990年代の末に、日本を訪れた女装(トランスジェンダー)旅行者から言われたのは「日本は安心して歩ける街」。アメリカからやってきた女装者は「日本ではこの格好でも失礼な扱いをされない」。韓国から訪れた人は、韓国で女装して歩くと「先祖に対して恥ずかしいと思わないのか!」と言われ頭を叩かれた。両者以外の女装旅行者は「日本はパラダイス」。と言う。
なぜ日本では女装を変なものとした目で見ないのか? この本では古代日本、ヤマトタケルの時代から遡って見ていきます。
ちなみに著者である三橋順子氏は自身も女装をするようです。

 

 

ヤマトタケル、女装で相手を油断させ尻から剣を突き刺す

ヤマトタケルと言えば教科書にも出てる歴史上の超重要人物。実は彼、女装して相手を油断させて討伐していたのです。討伐の仕方も凝っていて、相手の尻から剣を突き刺したのです。ソースは古事記

時代を進めて中世には「ぢしゃ」と呼ばれていた男の巫女がいました。 さらに「稚児」と呼ばれる12-16才ぐらいの少年は、性別的には女! もちろん男性の恋愛対象でパコられる方でした。「ボク、男の子だよぉ」というセリフがなかったどころか、むしろ恋愛対象になるからヤることやるだったのです。 「稚児」と「僧侶(師僧)」の愛の物語がまとめられた『稚児草紙』。本書で紹介されているのを一部引用(※念のために一部言い換え)すると

この稚児は(逞しくならなくなった)師僧のために、(排泄器官)に丁字油を塗ったり、炭火で温めたり張型や世話係の(逞しいモノ)をあらかじめ使って柔らかくしたり入念な下準備を怠らず、その甲斐あって、夜ごと、師僧の(逞しいモノ)は滞ることなくスムーズに(出たり入ったり)することが可能になりました。

物語は「か様に心に入(れ)てする児も有り難くこそ侍らめ(このように心をこめてお仕えする稚児はめったにいない)」と結ばれています。

逞しくならなくなった師僧の分身のために自らの排泄器官を献上する。。。イイハナシカナー?(́;∀;)
気になる人はぜひ「稚児草紙」を検索してみてください。画像検索も忘れずに。

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ニューハーフがたくさんいた江戸時代

さらに江戸時代になると、歌舞伎の女型(男が女役)が人気になり、女性の憧れにまでに! 女型は演じていない日常でも女として過ごしていたようで、日常でも当然女装。徹底的に女になりきっていたのです
ちなみに女型で生計がままならない人は「陰間茶屋」(陰間は少年女装者のこと。茶屋はカフェみたいなもの)と呼ばれるところで身体を売っていたようです。。。
女性よりも美しい男性がいて、「だが男だ」というツッコミはなく、かまわずアンアンしていたのです。

竹の子を 喰って大人の 仲間入り

これは江戸時代の川柳で「竹の子」とは陰間(少年女装者)のこと! 江戸時代は現代とはまったく違う価値観で、男と女と陰間3人でお楽しみをする絵も残ってるほどです。意外にも女性が陰間を買うこともあったようです。

女装は陰間だけがするものではなく、女装して飴を売る人もいたようで、江戸時代はニューハーフが普通にいたのです。

そしてさらに女装者と男が結婚することも可能で、当時は身体は男でも心(みかけ)は女なら女という認識だったようです。 

その後、天保の改革で「陰間茶屋」は禁止。さらに現代にも通じている女装者を忌み嫌う価値観にしてしまった出来事が起きるのです。

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近代国家を目指す日本、女装を禁止にする。

江戸幕府が無くなり、明治時代に入り近代国家への道を進もうとする日本。この時代は様々な改革がなされて、その一つである「戸籍制度」が女装に多大な影響を与えました。前記した女装男性と結婚した男。つまり男同士で結婚した人たちもその影響を受け婚姻関係を解消されたのです。さらに女装(男装)も禁止されてしまいました。ちなみにこのとき裸体歩行・刺青・混浴・立ち小便・菊門でアンアンすることも禁止されたそうです。

この改革で地下に潜ることになったそうです。そして女装者が「気持ち悪い」という価値観も広まっていきました(いちおう江戸時代にもありました)。ほんのちょっと前は何でもなかったのに、一気に異質な人にされてしまいました。

が、女装者が消えることはなく、新聞にはたびたび女装者が記事になっていました。

そしてまたもや日本人の価値観を変える出来事が起こりました。戦争敗北からのアメリカ占領時代です。
と書きましたがアメリカ関係ないです。

敗戦後まもなく上野(公園)に現れた女装男娼。1950年代にはゲイブームが起こり、性転換手術の開始、美輪明宏さん、ピーターさん、カルーセル麻紀さんなどがマスコミに取り上げられ、「富貴クラブ」なる女装者秘密結社の出現。1980年代にアマチュア女装雑誌「くいーん」創刊。

段々と抑圧されていた女装も人々に再び受け入れられるようになっていきました。戦後からはかけ足になりましたがこの様子は本書を読んで楽しんでいただきたいところ。筆者自身のこともよくわかりますよ。

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日本は昔から同性婚を認めていた

江戸時代のところで書きましたが、当時は男同士(片方女装)の結婚もおかしくなかったのです。日本は伝統的に同性婚が認められていたのです(今回の本では女性同士のことは詳しく書かれていないのでその辺はわかりませんが)。

昔の海外事情はわかりませんが、日本は世界一同性婚(同性愛)を認めていた国だったのです! 凄いぞニッポン! ところで江戸しぐさに同性愛についてのしぐさは載ってないのでしょうか?

なぜ明治時代に入って女装に厳しくなったのか? それは欧米の価値観が正義とされたからです。欧米文化最高や! 今までの日本文化なんかいらんかったんや! 状態。
欧米はキリスト教で同性愛がダメ。だから近代国家になるために女装や同性婚を禁止した。というわけ。制度や戦い方だけでなく文化も、今までの全てが否定されたのです。まだ女装で消耗してるの? という煽りをする元女装者もいたかもしれませんね。
女装に限りませんが、日本の伝統は明治維新で一度リセットされていると考えたほうが良さそうです

 

 昨今、「男の娘」「だが男だ」という言葉が出てきてアニメや漫画にも女性と見間違えるような男性キャラも出てきました。これを受け入れられている(こういう発想が出てくる)のは日本が昔っから歌舞伎の女型や陰間など、そういうのがいたからだと僕は思います。

そして、女装した男(男の娘)はけっこうメディア露出も増えてきて、技術の向上で男として成長しても女と間違えるような格好が可能になりました。同性婚はまだ江戸時代よりも厳しい目で見られていますが、女装については江戸時代よりも寛容かつハイクオリティなことになっているのではないでしょうか?

 

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