どうも、(@daiouoka)です。
ところで、当ブログは「daiouokaの徒然日記」という名前ですけど、同じ「徒然」が入っている名作『徒然草』を読んだの学生のときだけなんですよね。ふと思い立って『徒然草』を読み返してみました。
現代でも通じる
「自分は不幸な人間だ」などと悩んだり嘆いたりしている人が、頭の毛をカミソリでつるつるにするように、ものの弾みで悟りきってしまうのではなくて、ただ意味もなく、生きているというよりは死んでいないといった感じで、門を閉め切ってひきこもり、意味もなくだらだらと日々を漂っているのも、ある意味では理想的である。
源顕基中納言が「罪を犯して流された島で見る月を無邪気な心で見つめていたい」と言ったことにもシンパシーを感じる。
徒然草 第五段 - 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳) から引用 ※リンク先に原文あり
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昔から人間はたいして変わっていない?
今でも引き篭りは理想的とか羨ましいとか一部の人達が羨ましがっているとかいないとか。
ていうか700年以上前にも引き篭りっていたんでしょうか?
「罪を犯して月を見ていたい」ってなんだが「刑務所に入りたかった。人生が嫌になった。」と供述する犯罪者っぽいような気も……… 何もしたくない。考えたくもない。という感じ。
昔から人間はボケーッと過ごしたかったのでしょうね。いろいろあれば疲れますよね。。。
『徒然草』を読むのはまた書きます。